怒涛の3連勝で山谷克也! | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
決勝の朝。 数年前までは「誰が勝つんだろう、どんな戦いになるだろう」と、ときめきと期待をもって決勝観戦にいったものだが、近年はやや負担を感じるようになった。 タイトル戦の勝者は、1人である。 そして、讃えられ、名を残すのも、その1人。 今日の結果、栄誉に預からない3人は、程度の差こそあれ、不甲斐なく、屈辱を味わい、悔恨にかられることだろう。 残酷なセレモニーである。 筆者は立ち会うだけで彼等に刑を執行するわけではないのだが、数時間後の悲哀を想像すると、やはり気が重かった。 さて、今回のRMUクラウン決勝は半荘5回戦。やはり注目は初戦であろう。 短期決戦において、大事な大事な初戦。 東2局7巡目、南家の山谷。 ツモ ドラ どちらのリャンメンターツを外すか。端にかかったソウズを残し、受けも残る打で問題ないようだが、山谷の手は動かない。 次巡にを入れリーチとすると、一発でを引き当てた山谷。 その後も山谷はハネ満を引きアガり、初戦を飾る。 一方、S級ライセンスプロの古久根英孝に異変である。 2回戦東1局。 「…24,000、です」 ロン ドラ カンドラ ウラ カンウラ 「はい」 古久根のワーストチョイスは10巡目であった。 ツモ ドラ が5枚見えなのでか、それとも柔軟にか。 目に見えにくい敗因を生む行為がチーにあるとしたら、カンのそれは顕然としている。 同巡、ダマ続行に意味がないと判断した山谷が追いかけた2巡後、古久根英孝大往生となったのである。 さて、その古久根との対戦を誰より楽しみにしていたのは、同じくS級の多井隆晴だ。 6年前のタイトル戦決勝(第1回ビクトリーカップ)で古久根に敗れている多井としては、雪辱を果たす絶好の機会である。 しかし、いきなりフラフラとなった古豪を相手にしてる場合ではない。 ドラ これに追いかけたのは親の山谷だ。 その柔らかな物腰とは裏腹に、かなり強気である。 クラウンの準決勝最終戦。 多井自身もこう語る。 しかしその次局、まだ衰えを見せない山谷があっさりとハネ満をツモアガる。 この展開に揺れたのか。山谷が親番という意識からか。 ツモ ドラ 9巡目の時点でが3枚見えている。しかも3枚目が打たれたのがテンパイの直前で、多井がもっとも嫌うタイミングである。 さらに、山谷はリーチに向かってこないだろうから、他から出アガって2,600では彼の手助けをしているようなものだ。 打のテンパイ取らずとしたが、次巡のツモは。 一度逃した手を無防備にする危険は承知だが、まだ2回戦とのんびり構えていられる状況ではない。この時、山谷と2位多井はトータル80ポイント差なのである。 しかし、牌の並びというものは厳粛なものである。 ロン 柴田は予選の時とは打って変わって大人しかった。 筆者としては台風の目となる選手と注目していただけに、拍子抜けの感があった。 「もうイケイケはやめたんですよ。古久根プロと予選で当たって随分やられたんです。それでテレビ対局のDVDを借りて観たりしましてね。これは私なんかが逆立ちしたって2人のプロに勝てるわけがないなということで、とにかく慎重に打ちました」 聞くと、阿佐田哲也杯(現麻雀王座決定戦)を連覇した大ベテランの米谷次郎氏にお願いし、この決勝に備えて競技の作法を1週間学んだという。 さて、諦観の柴田と、瀕死の古久根ということは、自然と山谷・多井の一騎打ちの図ができる。 続く3回戦も接戦を制して3連勝、4回戦を2着にまとめ、さすがに逆転が非現実的な様相を呈してきた。 最終の5回戦を前に、点差を確認する多井。 山谷 +112.1 「121.9か…。やってみるか!」 ん?おいおい諦めなさいって。 東1局。まずは一発ツモで3,000、6,000。 ツモ アンカン ドラ カンドラ ウラ カンウラ 東2局も一発ツモ。 ツモ ドラ ウラ 柴田と古久根が共に4,000オールをツモアガって並びができたこともあり、120ポイントあった点差が、南3局の多井親番の時点で50ポイントにまで縮まっていた。 山谷は云う。 目の前の優勝に、誰しもがこの重圧に苛まれる。 早くこの苦しみから脱したい。その一念だけで山谷は仕掛けた。 ラス前で粘る親の多井に放銃もしたが、幸い致命傷には至らなかった。 1本場。8巡目に柴田が「リーチ」 「RMU初タイトルの夢が終わったな、という瞬間だった」 一発でこのリーチに差し込んだ山谷は、オーラスもツモアガり、自ら幕を引いた。
「ラッキーだけで勝ってしまって、ホントすいません」 そう山谷は謙遜するが、河の状況から正確な情報を読み取るセンスと、バランスいい攻守の切り替えは、誰の目にも確かな腕前であろう。 「学生時代、ミューの小林(剛)プロに徹底的に教わりました。決勝の調整セットもセッティングしてもらい、今日もセコンドとして来てくれて、頼もしかったです。 ただ2回戦が終わって、少し守備を考えた方がいいと小林さんに云われたんですが、そうしたら確実に逆転されていたと思います」
かくして、柴田と2名のライセンスプロは敗退した。 20歳くらいの頃、大先輩にこう教えられたことがある。 麻雀プロという、得体の知れない世界にすでに片足を突っ込んでいた自分は、彼等の刺激的な言動と、圧倒的な麻雀知識量とに魅了され、残る片足を踏み出すことになるわけだが、この言葉は今なお鮮烈に記憶している。 「負けたから強い、か」 (文中敬称略 室生述成) |